お客様に支えられて20年

青森と中華そば

昭和20年代。上磯から運ばれてくるたくさんの魚、市場は買い物客で溢れ、休日にはその足が映画館へと向かう。そんな活気に満ちた青森市古川で市民を満足させ続けている『くどうラーメン』。上磯のイワシで作られる焼干スープの香りが店の外へと漂います。

2~30人のお客様で溢れかえる店内は4人のテーブル席が見知らぬ人同士の合席になるようなこともしばしばありました。当時のラーメンは一杯20~30円、市場帰りの小腹を満たすための人、たくさん働いてお腹がペコペコの人、どんな人にも満足してもらえるよう『小・中・大』という大きさから選ぶスタイルが生まれました。

そんな、青森市民ならば誰でも知っている老舗ラーメン店の長女として生まれたのが、『華丸ラーメン』の現・店主 木村祥子さん。両親の仕事を幼い頃より見て育ち、小学校高学年にはお店の手伝いをしていました。 出来上がったラーメンをお客さんの下へ運んだり、ねぶたの時期には軒先で氷蜜(かき氷)を作ったり(※当時、古川はねぶた運行のルート)、映画館へ出前を持っていきこっそり映画を見せて貰ったり。

「私はこの街でラーメンを作って行くんだ」と幼いころから感じていたと言います。

命名華丸ラーメン

時は流れ、1993年。ラーメン作りへの決意を胸に、当時建築家であった旦那様を説得。青森市八ツ役の周りの一面田んぼ、そこにポツンと建つ一軒家。一般住宅であったその一軒家を改装し1993年 4/29『華丸ラーメン』が開業いたしました。

印象に残る『華丸』という名前の由来はとてもユニークで、知人の愛犬の名前がヒントとなりました。名前の響きをとても気に入った主人が『太郎"丸"、次郎"丸"のように、このラーメン屋の名前も"丸"という文字をつけよう!それに中華そばの"華"を加えて"華丸ラーメン"だ!』祥子さんは「少しふざけすぎじゃない?」と不安だった。という何ともかわいらしいお話。

名前が決まれば今度はお店の看板。旦那様のお知り合いのデザイナーである村上さんが道行く人の目を引く大きなはなまるのロゴマークをデザインしてくださいました。
ロゴマークを初めて見たときの印象は「なんだか蚊取り線香みたい。」だったと言います。

『少しふざけた名前』と『蚊取り線香』の凸凹な組み合わせも年月を重ねるにつれて味と趣きが生まれ、道行く人をぎょっとさせる第一印象が愛嬌のある表情へと変わってきました。創業以来、たくさんのお客様をお店へと呼びこんでくれたロゴマークに大きなはなまるをあげましょう。これからもよろしくお願いします。

開店以来、店の周りは青々とした田んぼ、店内にはお花のように美しく盛りつけられたラーメン。まるで田んぼの中に浮いているような感覚は『田んぼの見えるラーメン屋』として広く取り上げていただくこととなりました。

次の20年へ

そして現在、道路の拡張工事により、移転。
遠くからでもはっきりわかる黄色い外観の現在の店舗へと移り変わりました。

昭和のはじめから、現在にかけて青森のラーメンは大きく移り変わってまいりました。中でも津軽中華そばの原点ともいえる焼干。

焼干はイワシのはらわたと頭を取り、天日干しの後、炭火で焼くという大変手間のかかるものです。現在では、一部作業が機械化もされていますが、上磯地区の一般家庭では昔ながらの方法で焼干を作る家庭も残っています。

以前はたくさんの方が焼干を作ってらっしゃいましたが、近年はその数も減り、イワシの不漁も重なって高級食材化、仕入れも難しくなってまいりました。そんな状況の中、華丸ラーメンは津軽で生まれた伝統の味を愛し、今でも頑固に焼干にこだわっています。地味で静かだけれど、味わい深くほっとする"青森の中華そば"の味をこれからも守り続けます。

華丸ラーメン一同

長年のご愛顧、まことにありがとうございます。
これからも華丸ラーメンをよろしくお願いいたします。

華丸ラーメン一同

取材協力 中村 真